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研究者への軌跡

山登り、島歩き、それとコケ

氏名:山口 富美夫

専攻:生物科学専攻

職階:教授

専門分野:植物分類学、蘚苔類学

略歴:1959年茨城県生まれ。恩田陸の小説で映画になった「夜のピクニック」のもとの高校を卒業。その後、南の島にあこがれて琉球大学理工学部卒業、コケに興味をもって広島大学大学院理学研究科博士課程修了。大学院生+研究生として10年間広島で過ごした後、また南の島に戻って琉球大学理学部助手、またもう一度広島に戻って広島大学理学部助手、そして現在に至る。山歩きが好きで、どこの山に行っても生えているコケのことが知りたくなって、ついには現在の職業に就くことになった。

 

私が生まれたのは茨城県の霞ヶ浦の湖畔にある小さな村でした。村といっても、関東平野のまん中にあって山らしい山はありません。それでも、水田や畑に混じって雑木林が広がっていました。私が植物に興味を持ち始めたのは中学生の頃だったと思います。胴乱を肩にかけ、植物を採集しては標本をつくりました。高校は街のなかにある進学校でした。田舎から一人街の学校に進学し、その雰囲気になかなか馴染めませんでした。それで、一人でますます植物に熱中し、植物関係の図鑑や専門書を買いあさるようになりました。その頃はただ漠然と植物が好きなだけでした。ただ、大学に進学する頃には、高校の生物の先生の影響もあり、生物以外は思いつきませんでした。
 

大学は、実家から一番遠いところに行きたかった。沖縄です。私が入学した頃はまだ自動車は左ハンドルで、右側通行でした。亜熱帯の南の島で、樹木のように茂るシダ、碧い海、白い砂浜にサンゴ礁、何もかもが新鮮な驚きでした。生物学科の学生の多くは、私と同じように自然や生き物が好きで本土から集まってきていました。私なんかよりずっと生き物の知識をもった友人や先輩がたくさんいました。そこで考えました。この中で目立つためには、人と違ったことをしなければならない。人と違った材料、人があまり行かないフィールド、この二つを考えました。
 

そこで、卒業論文は「西表島のコケ植物」です。西表島はワンダーフォーゲル部の合宿で何度も歩いていますから得意です。しかし、コケについては、先生はいませんでした。国内の大学では唯一コケを専門にしている広島大学の研究室の先生や院生に教えてもらったり、図書館や知り合いから文献を集め、ほとんど独学でコケの勉強を始めました。
 

当時、コケを見る目は貧弱なものでしたが、採集のために歩き回った時間と距離は相当なものでした。一人で食料とテントをかついで西表島の山中を歩き回りました。1年間で60日以上は山の中で過ごしました。西表島の地形図を緯度経度1分ずつのメッシュに区切り、そのほとんどのメッシュを採集地点として埋めつくしました。種の同定は不完全なものでしたが、私としては十分満足できました。正直に言うと、大学に入学してから3年間は本土の山や沖縄の島を渡り歩いてばかりで、授業を真面目に受ける学生ではありませんでした。山登り、島歩き、最後の1年でコケにたどり着いたわけです。ただ、大学で覚えた山歩きの経験はその後の研究生活に大変役立っています。
 

当時の広島大学理学部は広島市内の東千田キャンパスにあり、私が進学した植物分類学研究室は旧理学部1号館にありました。原爆にも耐えた古くて堂々とした建物でした。研究室はコケの標本に囲まれ、植物学教室の図書室にはコケ関係の文献がぎっしりと並んでいました。コケを学ぶ雰囲気としては最高でした。大学院生のほとんどは、私と同じようにコケを目指して日本各地の大学から進学した学生で、平均年齢は30才に近く、結婚して子持ちの学生もめずらしくありませんでした。これくらい腰を据えて勉強しなければコケは身につかないのかと思ったものでした。とりあえず先輩の真似をして、私も早めに結婚することになり、10年間も研究室で学生を続けることになりました。さすがに10年めになると焦りましたが、目標ははっきりとしていました。コケの分類学者になることです。
 

修士論文では西表島を含めた八重山諸島全体のコケ植物相を研究しました。行ける島はすべてまわり、たくさんの標本を採集しました。その中には新種や日本新産の種が含まれていました。博士論文のテーマは、熱帯や亜熱帯に分布の中心をもつシラガゴケ属の分類です。シラガゴケの仲間は変異が大きく、未だによくわからない種がたくさんあります。最近では形態以外にも、遺伝子情報を参考にしてシラガゴケの分類学を続けています。
 

分類学は先端の学問とはいえないとは思いますが、生物学の基礎だと私は考えています。基礎を守るためには標本や文献の蓄積が重要です。特に、標本はお金で買えませんから、これまでに蓄積された標本を大切に保管し、さらに拡充することが必要です。私たちが管理している植物標本庫には数十万点の標本が保管されています。最新の実験手法を取り入れることはもちろん重要ですが、標本を維持し活用することはさらに重要だと考えています。
 

そして、もう一つ、分類学で大切なのはフィールドワークです。野外のコケ植物からは、標本では気付かない重要な情報が得られます。私は、デスクワークよりフィールドワークに心引かれます。これまで、琉球列島、小笠原諸島をはじめ日本各地のほか、ボルネオ、ニューギニア、フィジー、ハワイ、南極などで調査をしてきました。今でも山や島が好きです。ただ、ついつい足元のコケに目がいって、遠くの風景を楽しむ時間が減ってしまうのが難点です。


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