第30回加藤純一教授

第30回加藤純一教授「遊び心と科学的発見」
タイ・バンコク、ワット・アルンへの道すがら
加藤 純一教授

細胞機能工学研究室

(2018年2月1日)

 

 

 

写真:タイ・バンコク、ワット・アルンへの道すがら

 研究のドライビング・フォース(駆動力)のひとつは遊び心ではないかと思っている。それを裏付ける科学的発見に最近遭遇した。

 環境細菌の多くは鞭毛という運動器官を持っており、水溶液中を泳ぎ回る。彼らはただ闇雲に泳ぎ回っているのではなく、常に細胞の周囲の特定の化学物質の濃度を計測し、好ましい物質には集積し、好ましくない物質からは逃避する、という合目的な行動的応答を示す。この行動的応答を走化性と呼ぶ。好ましい物質の多くは細菌の栄養源であるので、走化性は「餌」の探索行動と捉えることができよう。それに加え、自然界では共生する相手、感染する相手を探し出す(たとえば根粒菌が宿主のマメ科植物を探し出す、または植物病原菌が感染相手の宿主植物を探し出す)ことでも重要な役割を果たしていると考えられている。これらの行動は「当たり前」のものとして受け入れられていたが、具体的にどのような分子メカニズムでその行動がなされているかを理解するにはまだまだ研究が必要である。

 走化性の分子メカニズムを解明するには当然ながら運動性細菌の走化性の測定が必要となる。走化性は、好ましい物質を含んだガラスキャピラリーに対する行動的応答の顕微画像を観察することで容易に測定することができる(図)。この時、測定のネガティブコントロールとなるのは検定物質を含まない緩衝液で、当然ネガティブコントロールには応答を示さない(はずである)。ところが、Ralstonia solanacearumという植物病原菌は時としてネガティブコントロールにも集積応答を示すことが見受けられた。これはネガティブコントロールの試料を調製するときに何か混ざり物が混入したため、と安易に片付けていた。しかしある時、ふとした遊び心から、「ひょっとしたらガラスに由来する物質に走化性応答を示すのではないか」と思うようになった。ネガティブコントロールに対する応答なんて研究の本質からは外れることだけれども、ガラス成分に対する走化性を計ったらと、おもしろ半分に学生をけしかけたところ、なんとガラス成分のひとつホウ酸に強い走化性応答を示すことが分かった。つまり「ネガティブコントロール」ではガラスから漏れ出たホウ酸にR. solanacearumが応答していたことになる。

 細菌の走化性の研究の歴史は100年を越えるが、細菌がホウ酸に対して走化性を示すという知見はこれが初めてである。ではなぜホウ酸走化性なのだろう?ホウ酸は植物の必須成分であることが知られている。また、R. solanacearumは根の傷口から植物体内に侵入し、青枯れ病を引き起こす。とするならば、傷害などで傷ついた植物組織から漏れ出したホウ酸を目安にR. solanacearumは傷口に集積し、植物体内に侵入する、というシナリオが考えられる。面白いことに、ゲノムデータベースを検索してみるとR. solanacearumのホウ酸走化性センサーと類似した走化性センサーは植物病原菌にのみ分布していることが分かった。すなわち、ホウ酸に対する走化性は植物感染で重要な役割を果たしていると容易に想像される。これらの研究成果は、Scientific ReportsというNature系の雑誌に公表することができた(Hida et al. Scientific Reports Vol. 7(1):8609, 2017)

 予想外の結果、なんてことはない結果から重要な知見を導き出す。この能力をセレンディピティと言う。自分たちのしたことを「セレンディピティ」だ、というのは面はゆいけれども、それでも遊び心を常に持ってセレンディピティを発揮する、これは研究の醍醐味のひとつであり、やはり研究のドライビングフォースになっているとつくづく確信した。

 

図 細菌の走化性応答

図 細菌の走化性応答
好ましい物質が入っているガラスキャピラリーの開口部に運動性細菌が正の走化性応答を示し、集積している模様。


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